「取捨選択」
不必要なものや悪いものを捨て、必要なものや良いものを選択するときに使う四文字熟語ですね。
この取捨選択は適切か不適切かは不明ですが、日々の生活の中で自然に行っていることだと思います。
今回は私の考える必要なもの・良いものと優先順位について綴ってみようと思います。
「取捨」の精度は人によってさまざまで、ある人にとってのそれと、ほかの人にとってのそれが異なるように絶対的なものではないと考えます。
もちろん明確なルールや法則のあるものに関してはそうなのかもしれません。
トレーナーと管理栄養士として活動している私は、お客様と直接関わり活動することが主となっています。
最近はお仕事の6割くらいがそうでしょうか。
その中で、お客様の精神面について考えることが度々あります。
どれだけ良い運動をしても、どれだけ良い食事をしても、大きなストレスを抱えた状態では好転していきづらいことは大いにあります。
サポートで関わる方にはできるだけ精神面でも良い影響を与えられたらと思い、関わらせていただいています。
2019年からメンタル系の学びを検討するようになり、いろいろな説明会や資料請求をしました。
そして、先日体験で100分間の授業に参加してみました。
授業の内容自体はとてもおもしろいと感じるものでしたが、これまで別の分野で学んだことや周りの方々から教わったことと重なる内容でした。
根拠や原理、原則を学ぶことでより安心や信頼の感情を抱いていただける環境を作れるのかもしれません。
メンタル系の授業や資格を得ることは、私にとって必要なものであり、良いものでもあると感じるものです。
しかし、今大学やスクールでメンタル系の知識を得ることは私にとって優先ではないと考えます。
なにより「私がなりたい自分像」を形作っていけるか考えたとき「≠」が頭に浮かびました。
私の中で現在深めていきたいものは大きく分けて3つです。
・トレーナーとしての知識・技術・経験
・管理栄養士としての知識・技術・経験
・英語
英語に関しては、読みたいものや話したい人、行きたい場所へのアプローチが語学面で制限される感覚がもったいないと感じて学び始めました。
どの分野も現在の私の力量としてはヘビーに感じるものですが、これらを深めていくことで「≒」につながると考えています。
必要なもの、良いもの、優先したいものはそれぞれ違います。
今の私が4つ目以降をとり入れれば、上記3つを無下にしかねないと判断しました。
幅広い知識をもち、多面的な角度からものごとを考え、アプローチできる総合力は必要であると考えます。
その一方で気になるものにただ手を伸ばしているだけでは、それを得づらくする枷になることもあると考えます。
自分像のディティールの粗さや曖昧さ、変動がある場合は手を伸ばすことで形作られていくのかもしれませんね。
またなんか固い文章が仕上がってしまった気がしていますが、生活するうえでもってたらいいものなんていくらでも思い浮かぶけど、時間は有限だから選ばなきゃねって話でした。
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