今回は、「できないことってそんなに悪いことなのかな」と、ある本に触発されて考えたことについて綴っていきます。
たった今読み終えたばかりの坪田信貴著「才能の正体」という本です。
映画化もされた「学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶応大学に現役合格した話」の著者というと伝わりやすいでしょうか。
普段自分がサポート側に立つことの多い活動をしているので、伝え方やサポートの進め方など専門としているものを関わってくださる方により生きた形で表現できるようにこういった書籍も手に取るようにしています。
今回この本の中の一節に、
“すごくできている人”って、自分がどうしてそれができているのかがよくわかっていないのです。なぜなら、できないことで悩んだことがないから。
というものがありました。
他にも人に共有したいと内容はたくさんありましたが、この一節に関しては自身が24歳の頃、友人に話したことのある内容だったので思い出とリンクした部分もあり記させていただきました。
私自身、できないことがたくさんあって、そのできないことをサラっとこなしてしまう人に憧れることもありましたし、その方がかっこいいと思っていました。
ただ、なぜだかあきらめるという選択は思い浮かばない子だったので、続けているうちにできることも増えてきました。
それ以外の選択によって開かれる未来もあったのだと思いますが、そうしてできるようになったものが積み重なるにつれ、一般的な言い方をすると「できる人・できない人」のどっちでもいいというと言いすぎになりますが、できないなりに得られるものもあるので憧れのようなものはなくなりました。
ひとつ付け加えると、私は聖人と言える人間ではないので、できればラクをしたいですよ。
24歳当時、友人からの相談は、仕事現場でのミスや作業をスムーズに行えないことによる人間関係の問題によって自分を責めたり、認められなくなっている状況についてでした。
私は同じ現場にいるわけでもないので、話してくれる内容からの想像でしかありませんが、「できている人」に囲まれているのかなと感じました。
苦労しながらも続けていた友人は、後輩にとてもやさしくあれたようで、悩みながらもやり続けたからこそ順を追って伝えられる人になれていて、それはすごい財産だと思うよと伝えた記憶があります。
と、同時に辞める選択もあることを伝えました。
「できないことを努力で乗り越えました!」というのは、結果として美談にしているだけで、たまたま自分の場合それがいくつかあってこの仕事ができたと言える状態ですが、おそらく全く違う道でも何かしら自身の構築要素となり生活していると思います。
多くの人が「結果」を見てその人を判断してしまうように感じます。
なぜなら「過程」は結果に比べて表現しづらく、読み取りづらいからです。
周りはできないことをどうこう言うかもしれません。
それでも、最初からできる人は基本的にはいないわけで、できない状態ができるようになるまでの過程段階なのかもしれないですし、自分のできないことを知ってよりやりたいことを見つけるまでの過程になるのかもしれないです。
反対に、できないことややりたくないことをやらなくて済む方法を見つけるまでの過程というのもあるかもしれません。
「結果」で判断する他人の意見はほっといて、好きに生きましょう。
もちろんビジネスや求めるものがあるのならば「結果」にも目を向ける必要はありますが。
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