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  • 執筆者の写真Narumi

人生は回路のように


生きていて起こるできごとは、知識や人、芸術、場所…どんな出会いでも点のようで回路のようにつながっているものだと思います。


私がこれを感じ出したのは、20歳の頃でした。


「この学びはなんの意味があるのだろうか。」

「この経験はなにに生かされるのだろうか。」

10代はそのようなことを考えることもありましたが、学生時代大きな反発を体現することなく進み、摩擦を感じることもある程度はやってきました。


20歳を超えたころ、関わる人は大幅に広がっていきました。

大学やアルバイト、仕事、社会人スポーツチームなど様々な環境で様々な人と出会い、時間を共にさせていただきました。


広がったのは人だけではなく、本や漫画、アニメ、映画など、自らの選択によってどのように時間を費やすかという選択の幅も広がりました。


そのころから「なんの意味がある?」「なにに生かされる?」と感じていたことが役立つ瞬間に巡り合うようになりました。



今回のテーマは、最近読み終えた本「自転しながら公転する(山本文緒著)」が影響しています。




この本の中には「金色夜叉(尾崎紅葉著)」という明治時代の小説に関連する内容があり、貫一とお宮という人物が登場します。


私は「自転しながら公転する」という本を読むまでは「金色夜叉」という小説を知りませんでした。


読み終えた後、たまたま見たアニメ「鬼灯の冷徹」のちょっとした会話に貫一とお宮に関する内容が出てきました。



日々の小さな点のような出来事でも、知っているのとそうでないのでは、同じ出会いであっても認識・理解の仕方や感じ方は大きく変わります。


無駄だと言われる出来事であっても、それはもしかすると回路をつなぐための道筋のひとつなのかもしれません。



他にも、書籍関連でいえば、私の好きなパウロ・コエーリョ作品を読んだ後、読んだ書籍にその作品に関する内容が書かれていたこともありました。


人間関係でいえば、「世間は狭いですね。」なんてことはよくあることですし、トレーナーや管理栄養士のセミナーの際も思わぬところで出会いがあることは少なくありません。


20歳の学生時代に読んだ専門書も、今読むと違う内容に感じることだらけです。



私は、運命や奇跡、占いなどはあまり興味がありません。

ただ、今日の出来事がなにかにつながる可能性のあるものだとは考えています。



回路を広げること、回路の密度を上げることで思考は巡り、見える世界、感じる世界が変化していくことを楽しみつつ、いつ終えるかわからない人生を楽しみたいと思います。




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