等価交換。
人は何かの犠牲なしに何も得ることはできない。
何かを得るためには、それと同等の代価が必要になる。
それが、錬金術における等価交換の原則だ。
その頃僕らは、それが世界の真実だと信じていた。
鋼の錬金術師で出てくる言葉のひとつです。
後半になるとそこが「=」なのか、ゆがみのようなものが生まれてきたような印象を覚えています。
価値は人によって、タイミングによって、環境によって変わるものだと思います。
それは時間にも言えることです。
私は仕事をしながら管理栄養士の国家試験を受験しました。
勉強に時間を使いながら、頭の中で「何かを得るためには、それと同等の代価が必要になる。」と繰り返していた記憶があります。
遊びたかったのでしょうね。
スノーボードに行きたかったのでしょうね。笑
「効率」というものは置いておいて、どうやってもスキルを得ようと思えばそれを得るための時間が必要になります。
自分がやってきたことが同等の何かになっているのかはわかりませんが、何かを得るためにあきらめた何かがあることは確かです。
あきらめるという言葉は、あまり良い意味に受け取られない印象があります。
しかし、あきらめることは、より得たいもののために行う選択だと認識しています。
今回のテーマは冬季オリンピックから考えました。
冬のシーズンスポーツは環境的要因も強いものの、その後の積み重ねてきた練習や実践という代価が、結果には必要不可欠な要素であることは絶対的な真実です。
仕事柄なのか、ただシンプルにスポーツが好きだからなのか、アスリートを見ているとそういった背景を考えることが多いです。
いくつものものを得られる人もいるかもしれません。
少なくとも私はそういう人間ではないですので、現在の姿はこれまでの代価の結果なのでしょう。
私の代価は不足しているようです。
そんなことを画面越しに考えていました。
ルールがある中での勝ち負けの存在する世界は、苦しくもあり、だからこそ輝かしくもあると私は思います。
どうせ交換するなら、交換して自分や周りが喜べる未来の選択をしていけるといいですね。
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