学生時代に思い描いた将来の自分はどんな人でしたか?
私は、広島県で生まれ高校を卒業するまで実家で暮らしていました。
私の通っていた高校は、私の代が中高一貫になった最初の代でした。
そういった背景もあり、学校教育の目的には『創造的な知性と豊かな心の調和的な発達を図り、国際社会に貢献できる人間を育成する』というものが掲げられており、修学旅行もシンガポールとなりました。
当時の私は共通テストで評価される科目では、数学くらいしか得意と感じるものはなく、特に英語は壊滅的でした。
そのため、「自分は生涯日本で生きて、日本語だけで成り立つ人生なのだ。」と思いながら学び続けていました。
根は真面目に構成されているので、匙を投げるようなことはありませんでしたが、今思えばもっとおもしろくする方法はいくらでもあったと思います。
留学生との関わりや修学旅行という英語に興味を持つきっかけは、何度かあった高校生活でしたが、現在のトレーナーと管理栄養士という働き方を選ぶきっかけとなった『部活動』によって頭は埋め尽くされていました。
高校卒業とともに、専門的な学びが中心となる栄養士養成校に進学しました。
栄養士養成校でも、そののちの栄養士として勤務した社会人生活でも、英語に興味を持つことはありませんでした。
そんな私の英語との関わりに変化が起きたのは、トレーナー専門学校に通い始めてからです。
高校2年生から栄養士の学びの後にトレーナーの学びをする人生設計は、ざっくりと決めていました。
栄養士を辞めて学校に通いながらフィットネスジムでアルバイトを始めました。
このフィットネスジムで出会ったお客様たちは、国内の出張や旅行に行くように、「さっきオーストラリアから帰ってきた。」という感覚の軽い足取りの方がたくさんおられました。
そんなお客様たちとの出会いの中で、「海外って近いんだな。」と感じるようになっていました。
また、この頃から英語で書かれた論文を目にする機会が増えていました。
『私の世界が何倍にも広がった瞬間。』
それは、トレーナーの海外研修に参加したときです。
フィットネスジムで出会ったお客様たちには海外に赴くことのハードルを下げてもらい、英語の論文を読むことで必要であると感じ、海外研修でたくさんの人と交流するおもしろさを知りました。
英語を学ぶことにより、今の自分よりももっとおもしろい活動ができると確信しています。
学生時代に思い描いた将来の自分とは、良い意味で変化しました。
限られた世界の中で、選択するのではなく、さらに広い世界でたくさんの選択肢があると思えることはとても幸せなことだと思います。
まだまだ学びは道半ばで、できることも少ないですが、学びから世界が広がる感覚を味わいながら継続していきたいと思います。
数学のチャート式はまたやってみたい気持ちがなくもないですが、専門職の学びもあるため、限られた時間の中で何を選択するのかも大切ですね。
「得意か否かではなく、自分がやりたいか否かで選びたい。」
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