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執筆者の写真Narumi

できなかった自分がいるから。


できなかった

『苦手を克服させる教育』

『得意を伸ばす教育』


現代において、後者の教育を進める傾向にはある。


私は苦手を克服させられたという感覚がなく育った。

苦手を克服することが学びなのだと疑わなかったからだ。


よく言えば素直、逆に言えば思考・思索不足だったと言える。



未来のためにできること、いや、やりたいことは『学生スポーツ』を変えること


現在トレーナーと管理栄養士という立場で働いている理由はここにある。



私は中学生になってから部活動でソフトテニスを始めた。

高校生になっても続けたソフトテニスでは、できた記憶より、できなかった記憶の方が多い。

そして、一度は明確に「嫌いだ。」と思った。


高校の部活動引退後に、コーチから「これからは楽しいテニスをしろよ。」と伝えられた。



学生時代に得意を伸ばすという観点で学びやスポーツに取り組んでいたなら、今やりたいこととは異なる選択になっていただろう。


基礎科目で言えば数学が得意、ソフトテニスで言えばサーブ・レシーブがポイントに結び付けやすかった。


苦手を克服することは、自分の力や得意を活かす引き出しになることも多分にある。

ただ、得意を伸ばすことに目を向けなさ過ぎたと感じている。



学生時代は社会人以降に比べ、環境や周りの人間の影響を受けやすい。

私は高校という場が世界のすべてであるかのように絶望していた。


今考えると大したことではないが、当時はその唯一の世界で『できない』が積み重なり、劣等感を抱えながら生活していた。



学生スポーツにおける『勝ち』は、要素のひとつとしての位置づけであってほしい。


競技スキル、トレーニング、栄養、コンディショニング、メンタル、ジェンダー、様々な知識と経験が伝える側に要求され始めた現代で、教員の方々が一手に担うことは現実的ではない。

これまで担ってきたことの方が不思議である。


以前、子どもたちのサポートをした際、他のコーチと「俺らがまず楽しまないとね。」と話したことがある。


年齢問わず、楽しくなさそうな人、余裕のなさそうな人、高圧的な人と時をともにしたい人は稀だろう。

そして、そういった人に希望を抱くことも稀だろう。



一度は明確に「嫌いだ。」と思った、ソフトテニス及びスポーツは、なぜか私の未来に影響を与えることとなった。


『できなかった自分』は好きなことを「好きだ。」と思い、続けやすい環境を作りたいと考えた。


学生スポーツをする中で、身体やこころを崩した自分のような『悩み』を抱えてほしくはない。

『悩む』以上に『考える』ことに時間を費やし、スポーツの経験や成果だけでなく、その後の人生にとって「やってよかった。」と思える時間にしてほしい。



私ははっきり言って『得意を伸ばす』選択ではない道を選んだ。

だから、得意を伸ばしてきたトレーナーや管理栄養士には劣る。


それでも、『苦手を克服させられる』のではなく、『苦手を克服しようと行動した』経験は、未来のために使っていきたい。



私自身が行動し続けること、好きだと思い続けられること。






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