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執筆者の写真Narumi

なんでそんな必死なの?

「なんでそんな必死なの?」

こんなことを言われた記憶があります。


「どうやったらそんな一生懸命になれるの?」

これも言われたことがある言葉です。



私としては必死にやっているという感覚も人に言われるほど一生懸命な感覚もなく言われたことだったので、「わからん。」という返答しかできませんでした。



自分にとっての普通。

他者にとっての普通。


普通という言葉もよくわからないですが、それぞれ基準は違いますし、それを判断するすべもありません。



だからこそ、押し付けることはしたくないと思っています。



これは痛みや辛さ、我慢などの感覚も同じで、人によって基準は違います。


自分の感覚だけで判断してしまうと、


あの人はなんで我慢できないのだろう?

あの人はなんで努力しないのだろう?


逆に、あの人はなんでいつも必死なんだろう?

あの人はなんで周りのペースに合わせないんだろう?


などのように「なんで」のパレードが起こります。



少し栄養士っぽい例え話です。


人の味覚には「閾値」というものがあります。

閾値とは、それぞれの味を感じさせるために必要な濃度の最小の値のことを言います。


例えば、塩味です。

閾値が低く薄味でも塩味を感じてちょうどいいと感じる人もいれば、

閾値が高く濃い味付けにしないと塩味を感じられない人もいます。


味覚に関しては出汁や香辛料をうまく利用することで感じ方に変化を与えることもできますが、「なんで」というよりは個性のひとつのように考えています。




幼い頃は、あまり必死さなく、さらっとこなしちゃう人になりたいと思っていました。

結局人間はないものねだりで、自分の視界(考えや知識の範囲)で生きています。


それは悪いことではないと思いますが、他者の感覚を知るために耳を傾けるということを忘れないようにしたいです。




歩夢

に向かってともに歩む。




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