今回はある講習に足を運んだ際に、こういう光景をよく目にするようになった気がするなと感じたことについて書いてみようと思います。
まず、その出来事について簡単に書きます。
その講習は救命講習で、AEDなどの一時救命処置を行えるようにするものです。
トレーナーの資格としても必要なもので定期的に講習を受けています。
講習中に指導してくださっている方から、「この地域の消防署はどのくらいあるでしょう?」という質問がありました。
その際あてられた方は「わからない」の一点張りで、なんとも言えない空気が会場を漂っていました。
指導の方も何かしらの対応方法はあっただろうし、そういったあてるシステムというのもすべて適切とは言えないにしろ、なにかしらの意見を言うことはできたように思います。
この出来事に関しては、Q&Aの形のものでしたが、こういった場面をいろいろなセミナーや講習で目にすることが子どもの頃より増えたなと思いました。
回答できないこと云々ではなく、失敗すること・間違うこと、またはそうなりえることに対する対応が「やらない」という選択をしているように私は感じています。
それぞれの選択があるので、私の考えが正しいとも思いませんし、人に押し付けようとも思いません。
ただ、自分の意見を口にすること、そしてそれがたとえ失敗だったとしても周りが揚げ足取りをするような環境ばかりが広がっていってほしくはないと思っています。
この出来事自体がそう思わせたというよりは、この出来事がきっかけでこれまで感じていたものを言語化できたのではないかと思います。
こけたら痛いということを学び、こけないように歩こうとするように、「失敗・間違い=悪・恥」というように認識してしまえば、避けるように成長し大人になるのでしょうか。
「大人になるってことなのかな。」
10年前に考えたことをどんなきっかけからか忘れましたが、思い出したので書いてみました。
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