『負けず嫌い』という言葉を耳にして、皆さんはどのような印象を持たれますか?
先日、兄と姪っ子と母と散歩をする機会があり、坂道を競うシーンがありました。
兄と私が少し前を走ったタイミングで姪っ子は涙しました。
そのとき、兄と話したことがあります。
「こういう気持ちって大切よな。」
「大人になるにつれ失う人も多いからね。」
自分も子どもの頃、いや、20代半ばまで「私は負けず嫌いなのだろう。」と思える気持ちの変動を感じていました。
しかし、最近の自分はこの『負けず嫌い』の気持ちが薄らいでいるように感じていました。
その結果、気持ちの変動に疲労することはなくなりました。
昔から感情を外に出す前に内省し、反射的に人にぶつけることはありませんでしたが、内側での摩擦は少なからず起こっており、勝手に疲労していました。
疲労を回避し続けたことで、『負けず嫌い』の気持ちと入れ替わりつつあったのが『諦め』と『妥協』の気持ちでした。
『諦め』と『妥協』の気持ちは、時に必要な気持ちだと思います。
ただ、すべて入れ替わってしまうことは違うように思います。
私は4月から3年ほど離れていたソフトテニスを再開しました。
驚くほどできなくなっているプレイがあり、悔しさを感じながらも、「楽しくできればいいか。」と『妥協』の気持ちが表れ、ほどほどの練習を続けていました。
そんな中、人数不足から急遽男子の団体戦に出場する機会がありました。
「サーブが思う場所に入らない。」
「一歩遅れた。」
「今のはとれたでしょ。」
自分の中の『負けず嫌い』の気持ちが一気に表れ、必要なトレーニングプログラムが脳内を駆け巡りました。
久しく感じなかった気持ちを、はっきりと感じ、『行動』へのエネルギーが生まれていることに気がつきました。
『負けず嫌い』という言葉は、怒りや聞き分けの悪さを連想することもあるかもしれません。
しかし、向上のために必要な気持ちであると私は考えます。
仕事で子どもたちのサポートをしていると、たくさんの感情を表現してくれます。
そのうちのひとつ『負けず嫌い』の気持ちは、持ち続けてほしいなと試合を終え改めて考えました。
私も試合で思い出した気持ちを、ソフトテニス以外の場面でも大切にしたいと思います。
高校時代お世話になった国輝堂本店でガットの張替えをお願いして、当時を懐かしみながら、今を考える時間をくれたソフトテニスというスポーツに感謝します。
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